推しで今日も米が美味い

ステージ上の君がいちばん!

私が見た怪物の話をしよう

 

いつかタイミングがあれば観劇のまとめブログを書きたいなあと思ってはや数年。

せっかくなので『聖なる怪物』をはてブロに載せることにしました!

ドルオタブログをそのまま使うので暇な人は私のラブアイドルの話も読んでいってね…☆

 

あらすじを書くというより自分が感じたことなどを書き連ねているだけ。

誰かの何かの考えに共鳴できたら嬉しいな~~~

 

 

 

『聖なる怪物』

thesacredmen.com

 

 

 

 

 

まずはさっくり感想

『聖なる怪物』の初期印象はこんな感じ。

山川神父:キリスト教の神父で善の存在

町月:連続殺人鬼の死刑囚で悪の存在。

=神父が自身を「神」と称する青年にマインドコントロールのように翻弄されていく物語かな?というのが最初の予想でした。

 

が予想は外れ、私の言葉で言うならばまず町月は偶像崇拝、形容される「神」よりも大きな枠組みの領域である「聖なるもの」

そして山川神父と町月は善悪という対立する存在ではなく“表裏一体”の存在、でした。

▶裏返した靴下のように、善性の裏には悪性が。でも果たしてどちらが表か?裏か?そもそも善とは?悪とは?

▶善悪でくくること自体が劣ってるよねって話(町月の靴下理論)

 


【余談】

「聖なる怪物」の英題を"The Sacred Men"(聖人)と名付けている&HPのURLだよ〜ってことが発信されましたね!

なんかもうそれが答えな気がする。怖。

 

 

 

山川神父と町月の力関係

人々の告白を受け入れる山川神父。

罪人の教誨のために刑務所を訪れ町月に会う…までは山川神父が「上位」の存在。

ところが、ただの頭の可笑しい死刑囚だと思っていた町月が

“じゃあこれは?”

と差した指先に光が宿る。この瞬間、実はもう山川神父と町月の立場は逆転したんじゃないかな。勿論山川神父はそれをまだ認めていないけど。

 


ティーチインで「蝋燭が6本=7という完全な数字から1足りないもの」という意味が込められていたとお話があったのでこの「1」も意味があると思います。

カトリックにおいて1は神を表す。

言葉だけでなく“奇跡”をもって町月は「神=自分が上位の存在」であることを示したのではないのかな?

 


そして驚愕の表情で目を見開く山川神父を置いて町月は去っていく。その口元が愉快そうに歪み笑っていたことに山川神父は気付かない、、、。

▶ほんと、この時の凌くんが恐ろしくて大好き。どこが大人しい引きこもりだって!?聖なる怪物が玩具を見つけて遊び始めた瞬間ですよ。

松田凌 / Ryo Matsuda on Instagram: "舞台「聖なる怪物」 無事千秋楽を迎え、幕を閉じました ご来場頂きました皆々様 誠にありがとうございました -そこには聖なる感情があり 人間が自然と調和している- ガブリエル・マルセル #神 #怪物"

 
 
 
 
 
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気になったワードの話

『記念品』

洋ドラのクリミナルマインドが好きだった私が懐かしいーー!?って叫んだ笑 シリアルキラーは殺した相手の持ち物などを持ち去り大切に保管したり身に付けたりするんですよね。

山川神父が大事に身に着けている十字架を記念品?と揶揄うように聞いた町月は、〈山川真之〉の正体を分かっていたんだろうなあ。

ところで山川神父、加賀谷さん、舞ちゃんのお母さんと十字架三者三様だったね!一番俗っぽい加賀谷さんはギンギラで舞ちゃんのお母さんは華奢なデザイン。

山川神父のはなんだか「白い汚れ」のある年季の入ったものでした。ふ~ん。。。

 

 

『神はどんなこともお赦しになります』『殺人はだめでしょう?』『そんなことするはずないじゃないですか』

答えているようで、答えていない。

殺人の罪について山川神父は一度も明確な答えを言わないんですよね〜無意識に自分の罪を思い出さないようにしているのかな…なんて😉

 

 

『統合してあげようと思ったけど無理みたい』

終盤、山川神父をガン詰めした町月のワード。

▶この時の板尾さんの顔スキ

きっと町月は記念品の問の時点で統合を図っていたと思います。


でも山川神父は「認めない」から統合できない。

加賀谷さんには「認めるところから始まるのですよ」と山川神父は語っていたのにね。

また「レイヤー」「人格」「僕たち」…など“統合”と繋がる言葉が作中に散りばめられているのですが、恐らく全て正解。あらゆる意味を含んでる。

 

そして統合せずに分離したまま自分は去ってやるよ(死刑執行)、みたいな町月。

 

 

『気に触るようなことを言ったのなら謝るよ』

『真実を連れて行かないでくれ』

『友達になりたかった』

鳥頭すぎて気分を害しただったか気に触るだったかはたまた違う言い方だったか忘れたwwwwんだけどこういうニュアンス。

完全に立場が逆転していることを示す台詞だったと思う。

 

それまでなんとか町月に対抗していた山川神父が膝をつきへりくだる。

最後にはキャソックを脱ぎ捨てアルコールに逃げる直人の〈山川真之〉が本音を叫ぶようになるわけで。

そして赦しを乞うた先の結果がエンディングの描写となる。

 

 

 

 


気になった演出の話

『聖書の上に座る町月』

椅子の上に置いてある聖書にそのまま座る町月…ものすごい好きだった笑

町月にとってひとつの宗教でしかないそれがどうでもよいもの、自分はより上位の存在であること、を示す性格の悪いシーンだな〜って思ったwww

その侮辱さえも遊びなんだろうな。良い表情してた。

 

 

『カーテンの逆五芒星』

終盤の告解シーン。

子供の殺人を告白するヤバイおじさん。の時だけカーテンに映る影が逆五芒星もしくは六芒星、はたま2つをミックスしたもの…?になっていました。

逆五芒星なら悪魔的意味

六芒星なら相反する性質の現れ

どっちでもありえるな〜〜

 

そしてそれは、今までは跳ねのけていた存在が教会に入れるようになってしまった

=教会が「善悪の境界」としての役割を持てなくなったことを示していると思います。

町月のせい(お陰)で形としての教会/境界はとっくに崩壊してたしね。

 

今回、登場人物そのものや教会、刑務所の実在性を問う感想が多くあります。

山川の心が見せるものなんじゃないか、みたいな。

たぶんそれも全部正解なんだろうなあ。

天秤の傾きと同じように、あの教会は実在の建物であり山川神父の精神世界。

だから崩壊は“真実”

 

 

『靴下の猫と舞ちゃん』

身体きっしょい猫のぬいぐるみ出てきたーー!と思ったら靴下で出来てた。

真っ白なワンピースを着ていた時から思っていたけどやっぱり舞ちゃんは一度別レイヤーに行って“町月たち”と統合していたんだろうな。

山川神父の告白を受け入れしょーがないから舞ちゃんを還してあげた町月。

でも舞ちゃんは“次の町月”になったにすぎない。

大人びた口調はそういうことじゃないかな。元の舞ちゃんは消えた。

 

 

『神父のあの姿』

みんな大好き!まるでドレスかのような真っ白衣裳の板尾さん!

私はあの姿は別のレイヤーへ統合された“山川”だと思っています。

町月に赦された“山川”はもう神父ではないから十字架を持っていない。

それに作中で真っ白な衣装なのは元々町月と舞ちゃんだけなんですよね。

その二人と同じになったのは…そういうことかなと。

 

 

影は黒とは限らない

またその最後の山川が立っている場所にも意味があるんじゃないかなー?と。

あそこには元々大きな白いカーテンが掛かってましたよね。

 

『目に見えないけれど、確実に存在する不気味な影を踏んでしまう物語』

という一文がパンフレットにあります。

 

実際町月は最初の方に山川神父に見える?と聞くシーンがあります。

また山川神父の基本の立ち位置がカーテン前、つまりカーテンを背にするシーンが多くありました。

そして白頭巾の話も…(舞ちゃんのお母さんが白頭巾の話をした時、山川神父はまるでそれを知っていたかのようだったネ)

山川の赦しのシーンも白頭巾の男(町月)に背後から包まれて終わります。

▶凌くんのインスタの投稿で初めて思ったんだけどこのシーンまるで山川に天使の羽が生えているみたいだった!やはり別レイヤーに行ってしまったんだね…。

松田凌 / Ryo Matsuda on Instagram: "#舞台 #聖なる怪物 https://thesacredmen.com/"

 
 
 
 
 
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つまり常に“影”は山川のすぐ傍にいたんだと思います。

そして最後にその影と同じものを纏って成り変わった。

それが、最後の真っ白な山川の姿だった…と。

 

 

 

 

ざくざくっとですが私が感じた『聖なる怪物』の話でした!

何度か加筆修正はすると思います。

正直最初はなんか微妙だな~と思ったんですよね笑

ただ咀嚼すればするほど不思議な味がしてくる。ついには色々と考えや新しい発見がでてくるのだからまんまと私も“影”を踏んでしまった気分です。

(ほんとにほんとに正直なところ足りない部分たくさんある脚本演出だと思うし好みは別れると思う。ただよーくよーく咀嚼してたら何かが見えてきた笑 簡単に他人に薦められる作品ではないかな。

凌くんの変化するお芝居と板尾さんの可哀想な顔が好きでした)

 

もしこの物語がまた上演ないし何かの形で出てくるのならば、と思い物語の具体的なところには触れませんでした。

田山事件のこともね!あれをどう捉え、山川を、町月をどうみるかも自由な訳です。

私は事実だと思ってるよ

誰かがこの影に触れた時に、良い意味でぞっとしてくれたら幸いです🥳